コンセプト
迎賓のこころ、
千年を超えて。
飛鳥・奈良時代(7〜8世紀)にかけて、
外交使節をもてなす国の迎賓館「鴻臚館」が、
この地に生まれ、国際交流都市の歩みが始まりました。
江戸時代には福岡城が築城され、
時の名士が集う城下町として発展し、
やがて都市の中心へ。
それぞれの時代で重要な役割を担ってきた
土地の歴史を紐解き、貴人をもてなす
迎賓の思想を住まいづくりに継承。
世紀を超えた“地の記憶”を、
グランドメゾンが未来へつなぎます。
古代迎賓館の地は、
やがて城下町へ。
この地は、
いつの時代も栄華の中心。
鴻臚館(筑紫館(つくしのむろつみ))が歴史の舞台に登場したのは、688年。同様の外交施設は、京都・大阪にも設けられたものの、遺跡が確認され国指定の史跡となっているのはこの鴻臚館のみです。1987年平和台球場の改修工事の際、遺構が発見され全容解明の発掘調査は現在も続いています。
国際交流の窓口として約400年にわたり華やかな社交の舞台であった鴻臚館。唐や新羅の外交使節や商人をもてなすと共に、日本の遣唐使などの送迎の場でもありました。鴻臚館は、博多湾に突き出した標高約9m前後の丘陵地に築かれ、大きな谷を南北に挟む尾根を造成し、谷は堀として残されました。
名城の威風と機能を併せ持った福岡城は、関ヶ原の戦いで軍功を上げた黒田長政と父・黒田官兵衛により、1607年に築城されました。城のみならず城下町の整備にも力を注がれ、福岡の発展に寄与しました。現在では、福岡城址は国の史跡となり大切に保存されています。
時は巡り江戸時代、この尾根や堀の形状を受け継ぎ建築されたのが福岡城です。福岡藩初代藩主となった黒田長政により設計され、周囲を石垣で固めた堅牢な構えや西日本有数の規模を誇ります。明治以降、城跡は県庁に使用され、現代は都心の一大オアシスへ。そして今、大濠公園と舞鶴公園の一体的な活用を図る「セントラルパーク構想※1」が進行中です。古代、近代、そして未来へ。此処は、いつの時代もその価値を高めながら時を刻みます。
古代から始まった迎賓の歴史は、未来へと続きます。由緒ある地と共鳴し、おもてなしのこころを継ぐ住まい「グランドメゾン福岡鴻臚館前」が2027年竣工。2030年を見据えた「セントラルパーク構想※1」も着々と進み、この地の豊かさは常に進化します。
舞鶴公園と大濠公園が並ぶ明治通りには、錚々たるオフィスビルが建ち並び、地の歴史と格を感じさせます。
都市の空を射抜くように颯爽と、都心のパークサイドにふさわしい優美な存在を目指し、「グランドメゾン福岡鴻臚館前」が誕生。羨望の眼差しを一身に集めるロケーションだからこそ、時を超えるランドマークレジデンスを創造します。
- 掲載の環境写真は2021年7月に撮影したものです。
- 掲載の距離・徒歩分数は、地図上を計測し80mを1分として計算したものです。
- 掲載の現地周辺鳥瞰イラストは図面を基に描き起こしたものと地形図を基に描き起こした周辺環境を合わせたもので、地形・距離・方角・建物の大きさ・縮尺等は実際とは異なります。建物外観の細部・設備機器・配管類及び電柱・架線・道路標識・周辺建物等は一部省略または簡略化しております。
- 1 「セントラルパーク構想」は福岡市が主導で進行する大濠公園・舞鶴公園の一体的な活用を目指す公園づくりプロジェクトの呼称です。
お問合せは
「GM BASE FUKUOKA」まで
住所/福岡県福岡市中央区警固2丁目1-20
営業時間/10:00~18:00
水曜・木曜定休(敷地内駐車場ございます)