横浜・山手で暮らしていくこと。横浜開港以来の歴史に根ざした文化を残す山手エリア、そこには今も昔も人々の生活があります。山手・谷戸坂にショップを構える「STANDARD TRADE.」代表の渡邊謙一郎さんと、山手本通り沿い「喫茶エレーナ」店主・服部静雄さんに、さまざまな変遷を経ながら営まれてきた地域の暮らしの風景についてお話を伺いました。
喫茶エレーナ店主
服部静雄さん
横浜は370万人の人口がいる
「スモールタウン」なんです。
テキスタイルデザイナーとして東京や名古屋で暮らした後、横浜に戻り、山手本通りにこの店を開いたのが1975年。34歳のときでした。横浜山手は憧れの土地でしたし、すぐ隣にフェリス女学院がありましたから、学生たちが来てくれるのではないかと思ってこの場所に決めました。当時の山手はまだ米軍根岸住宅に住む外国人も多く、今以上に異国情緒がありましたね。洋館はまだ整備されていなくて、観光客はほとんどいませんでした。
開店にあたっては、〈ヤマギワ〉で照明を特注したりと、インテリアにはこだわりました。この周辺に住んでいるお客さんは質の良いものを知っている方々ですから、下手なものは見せられないという思いがありましたね。今も椅子とテーブル以外は変えず、50年近く営業を続けています。オープン以来の常連のお客さんもいて、お孫さんを連れて来てくださることもありますよ。学生時代に通った方が、久しぶりに訪ねて来られたり。長い間にたくさんのお客さんとのお付き合いをさせていただいています。
この半世紀で、周辺の方々は引っ越されたり、外国人の方は本国に戻られたりで、住民は変わっていますが、山手が住む方々のための街であることには変わりません。ここは「第一種住居地域」で、建築物の高さや色彩の規制もある。今もあまり店舗はないし、静かに暮らしている方が多いですね。
横浜でも中区・西区の住人はまさに「ハマっ子」というイメージで、都会的な気質があります。演歌でなくジャズで育っているし、英語が堪能な方も多い。そういう場所ですから、もしウチのお店に有名人がいても、特に誰も気にしない。だからどなたもリラックスして過ごしていただけます。
そもそも横浜は、370万人の人口がいる都市でありながら「スモールタウン」なんです。みなとみらい線の元町・中華街駅から横浜駅までが約4キロメートル。その4キロ四方にデパート、飲食店、公園などあらゆるものがあり、生活のすべてが間に合う。車の大渋滞はほとんどない。住むには最高なんですよ。だから、横浜の人はあまり外に出ていきません。どこか他の地域に行った後は、帰り道に横浜マリンタワーが目に入ると、「ああ、戻ってきた」とホッとするんです。
STANDARD TRADE.代表
渡邊謙一郎さん
横浜に戻って、
日常の暮らしが
素晴らしいと
感じるようになった。
横浜育ちで、大学卒業後はずっと東京で暮らし仕事していましたが、30代半ばごろに横浜に戻り、2018年に山手町の谷戸坂沿いにショップをオープンしました。東京の都心は新しいお店やものがたくさんあって毎日変化があり、若い頃はそれが楽しく感じていましたが、年齢を重ねてだんだんと落ち着いて生活したい、年相応の働き方をしたいという気持ちが強くなってきたんですね。
山手というエリアは観光スポットもありますが、地元の方々が多く暮らすローカルな街です。朝、店のウィンドウから外の坂道を眺めていると、住民の方がランニングしていたり、犬の散歩していたり。年配の方、学生、子どもたちなど多様な世代がそれぞれの生活を楽しんでいるのが伝わってくる。よそ行きの格好でビシッとキメましたという人はいなくて、みんなリラックスした雰囲気。山手にはそんな緩やかな空気感があります。一方で、夜は早く暗くなるんです。僕も東京にいた頃は夜遅くまで遊んでいましたが、こちらに来てからは朝5時半くらいに起きる生活になりました。
そうした自然のサイクルに近い暮らしを始めてから、考え方も変化したように思います。以前はインテリアも完璧に整理整頓して綺麗にディスプレイするのが好きでしたが、だんだんと「ものは手の届くところに置いてあるのが自然じゃないか」と感じるようになった。家具にも傷がつかないよう気を遣っていましたが、今はもし傷がついても、生活の中で使っているそのさまが美しいと思うように。新しいもの、特別なものでなくても、今そこにある日常の暮らしが素晴らしいと感じます。お店で切り花を買わなくても、庭にある花を詰んで窓辺に飾ればいい。山手にはそんな風に生活を楽しんでおられる方が多いと思います。
地元で昔からあるものに満足し、大切にする風土があるだけに、新しいお店を開いても、すぐには入って来てもらえません。ここでは「10年間くらいその場所にないと信用しない」なんて話もあるくらいで、僕たちのお店もまだこれから馴染んでいくつもりです。それでも、ここは昔から港を通じて外の文化を受け入れてきた土壌がある。新旧の住人も、外国人も、観光客も混じりながら暮らしていく。ローカルだけど決して閉じてはいないのが山手という街だと思いますね。