鉄骨建築のヒミツ vol.03 技術の発展に伴い、進化した超高層ビル
前回は電波塔や展望台として建てられたタワーの歴史について解説しましたが、高さを競う建築構造物には、ほかにもオフィスやホテルなどの超高層ビルがあります。そうした超高層ビルも、そのほとんどは鉄骨造か、あるいは鉄骨に他の構造要素を組み合わせた構造方式を採用しています。
鉄骨技術の飛躍的な発展
超高層ビルの構造に、なぜ鉄骨造が用いられるのでしょうか。それは鉄骨の素材である鋼が素材として強く、同じ力に耐える際に細くて軽い材で済むからです。さらには部材を工場で製作して組み立てるため、現場での作業が減り、工期を短くしやすいという点もメリットです。
一方、鉄骨造のデメリットもあります。一つは熱に弱いこと。それからもう一つは揺れやすいことです。これらは鉄骨を火災から守る覆いを用いたり、地震や風に対処するための構造設計によって解決することができます。
また、揺れを抑える技術も進歩しました。代表的な技術は、最上部に巨大な錘(おもり)を設けて、その揺れ方と建物の揺れ方がずれることで互いを打ち消し合うという効果を用いるものです。
➁横浜ランドマークタワー
➂霞が関ビル
➃浅草 凌雲閣
超高層のルーツはシカゴにあり
超高層ビルのルーツを世界へとたどると、米国のシカゴに行き着きます。この街は1871年、大火にみまわれ建物の多くが焼失しました。その復興として、市街地に一挙に高層建築が建てられました。それを可能にしたのが、今では当たり前となったエレベーターという機械設備と、そしてもう一つ、鉄骨造という構造技術でした。
それまでのレンガや石を積む工法でも、ピラミッドのような下にいくにつれて広がっていく形状であれば、いくらでも高く積むことができます。しかし、高くすればするほど、下層部の柱が太く、壁も厚くなる設計は、合理的とは言えません。
一方、鉄骨造では細い柱梁のフレームのみで構造をつくれるので、建物を強くするために外側に壁を設ける必要がありません。今も残るリライアンスビル(高さ62m・1895年竣工)を見ると、その大きく取られたガラス面が、現在でも古さを感じさせない外観です。
シカゴにはその後も先進的な超高層ビルが建てられ、ジョン・ハンコック・センター(高さ344m・1970年竣工)やウィリス・タワー(高さ443m・1973年竣工)などが登場します。後者は2004年に台北で完成した台北101(高さ509.2m)に抜かれるまで、超高層ビルとして世界一の高さを誇っていました。いずれも地上部の基本構造に鉄骨造を採用したビルです。
シカゴの名高層ビル
時に人間らしい親しみやすさも
高さで競い合ってきた超高層ビルですが、ポストモダニズムと呼ばれる新しいデザインの流れが建築界を席巻した1980年代以降、高さとは違う形でシンボル性を表現するものが目立つようになっていきました。そうした傾向の際立った例が、大阪の梅田スカイビル(高さ173m・1993年竣工)と言えるでしょう。
このビルは2棟の超高層ビルをつなぐことで安定性を高めた連結超高層建築で、頂部の空中庭園が類のない存在感を放っています。主構造は鉄骨をコンクリートでくるんだ鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)ですが、空中庭園へと至るエレベーターやエスカレーター、2棟の間にかかるブリッジ、非常階段などは、むき出しの鉄骨でつくられています。そしてそれらは、都市にそびえる非日常的なメガストラクチャーに添えられた、人間的で日常的なスケールの装置としても感じられます。ガチガチの構造材ですが、意外な親しみやすさもある。そんなところが鉄骨の魅力ではないでしょうか。
梅田スカイビルの鉄骨造。写真左はエスカレーター部、写真右は2棟をつなぐブリッジ部。
磯 達雄(建築ジャーナリスト)
1963年埼玉県生まれ。名古屋大学工学部建築学科卒業。日経BP社で「日経アーキテクチュア」誌の編集部に勤務。退社後は編集事務所フリックスタジオを共同主宰。専門誌から一般誌、webまで幅広い読者層の媒体にて建築に関するさまざまな記事を執筆。主な著書に『昭和モダン建築巡礼』『ポストモダン建築巡礼』『菊竹清訓巡礼』『プレモダン建築巡礼』など。桑沢デザイン研究所・武蔵野美術大学非常勤講師。
積水ハウスの鉄骨住宅にも画期的な制震構造を導入
揺れを抑える制震技術が超高層ビルを支えてきたように、積水ハウスの鉄骨住宅にも画期的な制震技術が組み込まれています。それが震度7クラスの大地震への対応も想定した「シーカス」です。