
私の中には、
小さな家が建っております。
家と言っても住むための家ではありません。
上はベッドで下は収納。家の形の造作家具です。
私を建てた時に同じ素材から生まれたのだそうです。
まあ、私の子どものようなものです。
この小さな家は今はやんちゃな兄弟たちが使っていて
家と人という垣根を超えて
子どもたち同士、毎日キャッキャと楽しそうにしております。
一方、私たち大人はと言いますと
いやあ、立派に建ってくれてありがとう。
やや、建ててくれたのはそちらじゃないですか。
なんて
楽しくもさしたる意味のない褒め合いをしながら、
やはり種の垣根を超えて交流を深めております。
もう私たちは共に暮らす家族なのでございます。
しかし、いつかはこのやんちゃ兄弟も
私を巣立っていく日がくるのでしょうか。
考えただけで涙腺が緩んで緩んで
思わず水漏れしてしまいそう。
きっと小さな家たちも随分寂しがることでしょう。
でも、同時に待ち遠しくもあるのです。
だって、いつまでもここに建ち、
いつでも帰ってこれる場所であること。
それこそが、私たち「家」の一番の喜びでもあるのですから。
家と言っても住むための家ではありません。
上はベッドで下は収納。
家の形の造作家具です。
私を建てた時に同じ素材から生まれたのだそうです。
まあ、私の子どものようなものです。
この小さな家は今はやんちゃな兄弟たちが使っていて家と人という垣根を超えて子どもたち同士、毎日キャッキャと楽しそうにしております。
一方、私たち大人はと言いますと
いやあ、立派に建ってくれてありがとう。
やや、建ててくれたのはそちらじゃないですか。
なんて
楽しくもさしたる意味のない褒め合いをしながら、やはり種の垣根を超えて交流を深めております。
もう私たちは共に暮らす家族なのでございます。
しかし、いつかはこのやんちゃ兄弟も私を巣立っていく日がくるのでしょうか。
考えただけで涙腺が緩んで緩んで思わず水漏れしてしまいそう。
きっと小さな家たちも随分寂しがることでしょう。
でも、同時に待ち遠しくもあるのです。
だって、いつまでもここに建ち、
いつでも帰ってこれる場所であること。
それこそが、私たち「家」の一番の喜びでもあるのですから。

